- 生成AIで特定の作品の「スタイル」に似た画像を生成する行為が著作権侵害にあたるか、議論となっている。
- 著作権法は「表現」を保護し「スタイル」自体は保護しないため、「ジブリ風」の画像を生成するだけでは原則侵害にあたらないとされる。
- AI生成画像を「デジタル万引き」と呼ぶ言説は、法的な著作権侵害の定義とは異なる。
- 生成された画像が既存の特定の著作物に酷似する場合などは、著作権侵害となる可能性がある。
「ジブリ風AI画像」が提起する著作権の問い
生成人工知能(AI)の進化は、誰もが容易に画像を生成できる環境をもたらした。3月末、ChatGPTの画像生成機能の強化により、スタジオジブリ作品のような独特の画風や「スタイル」を模倣した画像をAIに生成させる試みが世界中で人気を博した。一方で、こうした行為が著作権を侵害しているのではないか、あるいは「デジタル万引き」であるといった批判的な意見も根強く存在する。この生成AI時代における画像の著作権問題を巡る論点について、テクノロジーライターの大谷和利(おおたにかずとし)氏がダイヤモンド・オンラインの記事で解説している。
著作権法における「スタイル」と「表現」の線引き
ダイヤモンド・オンラインによれば、日本の著作権法は、思想や感情を創作的に「表現」したものを保護の対象としている。これに対し、「手法」や「スタイル」といった一般的な特徴そのものは、著作権による保護の対象とはならない。この原則に基づけば、生成AIを使用して「ジブリ風」の画像、すなわちジブリ作品のテイストや画風に似た画像を生成する行為は、それが特定の既存作品の具体的な「表現」をコピーしているわけではない限り、原則として著作権侵害にはあたらないと解釈されている。著作権が保護するのは、あくまで個々の作品における具体的な「表現」だからである。
「デジタル万引き」言説の不正確性
生成AIによってスタイルを模倣した画像を生成する行為を捉えて「デジタル万引きだ」と批判する言説も散見されるが、大谷氏はこの表現が法的な著作権侵害の定義とは異なると指摘する。万引きは物理的な財産に対する窃盗行為であり、著作権侵害は著作権法によって定められた権利(複製権や翻案権など)を侵害する行為を指す。スタイルを模倣する行為は、これらの著作権侵害行為に原則として該当しないため、「デジタル万引き」という言葉で非難することは法的な観点から見て正確ではない。
ただし、例外的に著作権侵害となる可能性のあるケースも存在する。生成AIによって出力された画像が、既存の特定の著作物の「表現」と偶然ではなく依拠して(既存の作品を知った上で)、実質的に類似していると判断される場合は、著作権(複製権や翻案権など)を侵害する可能性がある。また、生成AIが学習するデータセットに含まれる著作物の扱いについても議論があるが、日本の著作権法では、情報解析を目的とした著作物の利用は、一定の条件下で著作権者の許諾なく行うことが認められている(著作権法第30条の4)。この規定により、AIの学習のために著作物を利用すること自体は、多くの場合において適法となり得る。
生成AIと著作権の論点
生成AI技術の進化は、著作権を巡る新たな、そして複雑な課題を提起している。「スタイル」の模倣は原則問題とならない一方で、「表現」の類似性には常に注意が必要であり、その線引きは必ずしも明確ではない場合もある。生成AIの利用者には、著作権法の基本的な理解が求められ、意図せず他者の権利を侵害しないよう慎重な対応が望まれる。また、AIの学習データの透明性や、生成物の利用範囲(個人的な利用か、商用利用かなど)によっても、著作権侵害のリスクは異なってくる。
「デジタル万引き」問題はどう進むのか
生成AIによる画像生成は、クリエイティブな活動のハードルを大きく下げた一方で、著作権に関する根強い懸念や誤解を生んでいる。「ジブリ風」画像の是非を巡る議論は、著作権がどこまでを保護するのか、技術の進歩に法がどう追いつくのかという問いを浮き彫りにしていると言えるだろう。「スタイル」と「表現」の区別といった法的な論点を理解することは重要だが、それ以上に、リスペクトを欠いた安易な利用がクリエイターや既存の文化に対して負の影響を与えうるという倫理的な側面にも目を向ける必要があると感じる。「デジタル万引き」という強い言葉が出てくる背景には、技術的な可能性と感情的な抵抗、そしてルールの不明確さが混在しているように映る。生成AIとの付き合い方を模索する中で、技術的な側面だけでなく、文化や倫理といった多角的な視点からの議論が今後ますます重要になるだろう。
引用元:ダイヤモンド・オンライン
「ジブリ風AI画像は著作権侵害」「デジタル万引きだ!」は正しいか?生成AI時代、知らないと恥をかく“画像の著作権”